戦国時代は白湯だった?現在の緑茶文化はいつから始まったのか – 日本茶の意外な歴史

戦国時代は白湯だった?現在の緑茶文化はいつから始まったのか - 日本茶の意外な歴史 戦国の雑学
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お春
お春

戦国時代のドラマや映画を見ていると、来客に白湯を出すシーンをよく目にしますよね。

現代の私たちの感覚では「なぜお茶じゃないの?」と疑問に思うかもしれません。実は、この描写は時代考証として非常に正確なのです。では、現在のように急須で緑茶を淹れて来客をもてなす文化は、一体いつから始まったのでしょうか?

緑茶(煎茶)が一般化したのは江戸時代中期以降

現在私たちが日常的に飲んでいるような、急須で茶葉から淹れる緑茶(煎茶)が広く普及し、来客へのおもてなしとして一般化したのは、江戸時代中期から後期にかけて(18世紀半ば〜19世紀)のことです。

具体的な転換点は以下の通りです。

  • 1738年: 永谷宗円による「蒸し製煎茶法」の確立
  • 18世紀前半〜中頃: 売茶翁による煎茶文化の普及
  • 18世紀末〜19世紀: 庶民レベルでの「お茶一服」文化の定着

戦国時代から数えると、実に200年以上も後の時代になります。

日本の茶文化の歴史的変遷

碾茶を粉末にする小さな臼

平安時代(9世紀頃):薬としての茶の始まり

みつなり君
みつなり君

茶が日本に伝わったのは平安時代初期、遣唐使によって中国からもたらされたのが始まりです。

しかし、この頃の茶は主に薬用として、ごく限られた貴族や僧侶の間で珍重される貴重品でした。日常的に飲むものではなく、ましてや来客へのおもてなしに使われるような存在ではありませんでした。

鎌倉時代(12〜13世紀):「茶の湯」文化の芽生え

大きな転機が訪れるのは鎌倉時代です。栄西禅師が宋から本格的な喫茶の習慣を持ち帰り、『喫茶養生記』を著して茶の効能を広めました。この時期から、抹茶を点てる「茶の湯」の文化が禅宗とともに武家社会や知識人の間で広まり始めます。

しかし、これもまだ一部の上流階級の文化であり、栽培や加工、そして点てる作法にも高いハードルがありました。

戦国時代(15世紀後半〜16世紀後半):上流階級の茶の湯と庶民の白湯

上流階級の茶の湯文化: 室町時代から安土桃山時代にかけて、千利休によって「わび茶」が大成され、茶の湯は文化として頂点を極めます。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった戦国大名たちは、茶の湯を政治的な道具としても巧みに活用していました。高価な茶道具は権力の象徴であり、茶会は社交の場、あるいは重要な密談の場として機能していました。

なぜ庶民は白湯だったのか: しかし、この華やかな茶の湯文化は、ごく一部の上流階級に限られたものでした。一般庶民や下級武士にとって、茶葉は依然として非常に高価な贅沢品であり、栽培や加工に手間がかかり、点てるのにも一定の作法と高価な道具が必要でした。

そのため、来客へのおもてなしとしては、衛生的に沸かした清潔な湯である「白湯」が最も一般的で実用的な飲み物だったのです。白湯は清潔で安全な水の証でもあり、客人への心遣いを示す適切な飲み物でした。

江戸時代の技術革新が変えた茶文化

急須で煎茶をいれる

新しい飲茶スタイルの到来(17世紀半ば)

江戸時代初期の1654年、来日した中国の僧侶・隠元隆琦によって、抹茶とは異なる新しい茶の飲用方法が伝えられました。これは茶葉を粉末にするのではなく、熱湯を注いで成分を抽出するスタイルで、現在の煎茶の原型となるものでした。この方法は抹茶よりも手軽で、特別な作法を必要としませんでした。

永谷宗円による革命的技術革新(1738年)

日本の茶文化を決定的に変えたのが、宇治の茶農家・永谷宗円による「蒸し製煎茶法」の確立です。これは茶葉を蒸してから揉むことで、美しい緑色と豊かな香りを保つ画期的な製法でした。

この技術革新により:

  • 風味豊かで保存性の高い煎茶の大量生産が可能になった
  • 茶の品質が安定し、価格も手頃になった
  • 現在の緑茶の基礎となる製法が確立された

売茶翁による煎茶文化の普及(18世紀前半〜中頃)

売茶翁(1675–1763)は京都で煎茶を広め、文人墨客の間では作法にとらわれず自由に茶を楽しむ「煎茶道」を提唱しました。これにより、抹茶の茶の湯とは異なる、より自由で親しみやすい茶文化が花開いたのです。

庶民への普及と日常茶文化の確立

庶民へ普及した日常茶文化

江戸時代後期(18世紀末〜19世紀):庶民の日常へ

煎茶の栽培技術や加工技術がさらに向上し、全国各地で茶の生産が盛んになりました。価格も手頃になったことで、町人や農村部にも煎茶を飲む習慣が急速に普及していきました。

この時期になって初めて、「お茶一服」という表現に表されるような、現在に通じる日常的な茶文化が成立したのです。急須や湯呑みといった茶器も一般家庭に普及し、来客をもてなす際に緑茶を出すという習慣が定着しました。

明治時代以降:全国的な普及と多様化

明治時代に入ると、静岡県などでの茶の大量生産と流通システムが整備され、緑茶は全国的な日常飲料として完全に定着しました。玉露などの高級茶も開発され、現在の多様な緑茶文化の基盤が確立されました。

よくある疑問Q&A

Q
戦国時代の人はお茶を全く飲まなかった?
A

上流階級や寺院では抹茶の茶の湯が行われていました。ただし茶葉は高価で、庶民の日常飲用は一般的ではありませんでした。

Q
煎茶と抹茶はどう違う?
A

抹茶は碾茶を粉末にし点てて飲むもの。煎茶は茶葉に湯を注いで抽出するもの。製法も味わいも異なります。

Q
なぜ白湯がおもてなしになり得た? 
A

沸かすだけで安全・確実、道具も少なく、誰にでも出せる普遍的なもてなしだったためです。

まとめ:白湯から緑茶へ、日本のおもてなし文化の大転換

みつなり君
みつなり君

戦国時代のドラマで来客に白湯が出される描写は、当時の庶民や一般武士の実情を正確に反映したものです。

現在のような急須で淹れる緑茶が来客へのおもてなしとして一般化したのは、永谷宗円の技術革新(1738年)を契機とする江戸時代中期以降のことで、完全に定着したのは江戸時代後期から明治時代にかけてでした。

つまり、「抹茶=中世〜近世のエリート文化」から「煎茶=江戸中期以降の庶民の日常茶」への転換が、現在の緑茶文化の出発点だったということができます。

次回時代劇を見る際は、この歴史的背景を思い出してみてください。白湯一杯にも、その時代の社会情勢や技術水準、人々の暮らしぶりが反映されているのです。

日本茶文化の変遷年表(参考)

  • 平安時代(9世紀): 茶が伝来(薬用・儀礼用)
  • 鎌倉時代(12〜13世紀): 抹茶文化が成立(栄西)
  • 戦国時代(15〜16世紀後半): 茶の湯が上層で隆盛(利休)
  • 1654年: 淹茶のスタイルが伝わる(隠元隆琦)
  • 1738年: 蒸し製煎茶法の確立(永谷宗円)
  • 18世紀前半〜中頃: 煎茶文化の広がり(売茶翁)
  • 18世紀末〜19世紀: 庶民へ定着
  • 明治時代以降: 全国へ普及、多様化

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