【完全版】戦国時代年表まとめ|応仁の乱〜関ヶ原まで150年の流れを図解で解説

戦国時代の年表ガイド:わかりやすく振り返る日本の激動期 戦国の雑学
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戦国時代(1467年~1615年)は、日本史上最も激動の150年間です。

応仁の乱に始まり、戦国大名の群雄割拠、織田信長の天下布武、豊臣秀吉の全国統一、そして徳川家康による江戸幕府成立まで、数々の英雄たちがしのぎを削った時代でした。

戦国時代の概要

戦国時代の始まり1467年の応仁の乱
1467年の応仁の乱

戦国時代は1467年の応仁の乱から1615年の大坂夏の陣まで続いた約150年間の動乱期です。室町幕府の権威失墜により、各地で戦国大名が台頭し、天下統一を目指して激しい戦いを繰り広げました。

お春
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戦国時代前期(1467-1560年)- 応仁の乱から戦国大名の台頭までを音声で聞くことができます。(2分53秒)

戦国時代の特徴

  • 下克上の時代:身分を問わず実力次第で成り上がれる社会
  • 戦国大名の自立:独自の軍事・経済基盤を持つ地方権力者の登場
  • 城郭建築の発達:防御技術の向上と象徴的建造物
  • 南蛮貿易:ヨーロッパとの交流による新技術・文化の流入
  • 宗教改革:一向一揆やキリスト教の普及

時代区分

時期年代特徴主要人物
前期1467-1560年応仁の乱〜戦国大名の群雄割拠北条早雲、武田信玄、上杉謙信
中期1560-1582年織田信長の天下統一事業織田信長、明智光秀、羽柴秀吉
後期1582-1615年豊臣政権〜徳川幕府成立豊臣秀吉、徳川家康、石田三成

前期(1467-1560年)- 応仁の乱から戦国大名の台頭まで

1467年(応仁元年)

応仁の乱勃発 – 足利将軍家の継承争いに端を発した全国規模の内乱。東軍(細川勝元)vs西軍(山名宗全)

1477年(文明9年)

応仁の乱終結 – 11年間続いた大乱が終了。京都は荒廃し、各地で戦国大名が台頭開始

1493年(明応2年)

北条早雲の伊豆侵攻 – 戦国時代の先駆けとなる下克上。関東に後北条氏の基盤を築く

1521年(大永元年)

武田信玄誕生 – 甲斐の虎として知られる名将の誕生

1530年(享禄3年)

上杉謙信誕生 – 越後の龍として信玄のライバルとなる

1534年(天文3年)

織田信長誕生 – 尾張に天下人となる英雄が誕生

1543年(天文12年)

鉄砲伝来 – 種子島にポルトガル人が漂着。戦術に革命をもたらす

1549年(天文18年)

キリスト教伝来 – フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来日

この時期の特徴

室町幕府の権威が失墜し、各地で有力な戦国大名が自立して勢力を拡大した時代。特に関東の北条氏、甲斐の武田氏、越後の上杉氏、中国の毛利氏などが台頭しました。また、南蛮貿易により鉄砲やキリスト教が伝来し、日本社会に大きな変化をもたらしました。

中期(1560-1582年)- 織田信長の天下布武

織田信長の天下布武
Wikipedia織田信長
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中期(1560-1582年)- 織田信長の天下布武から後期(1582-1615年)- 豊臣秀吉の統一から徳川政権確立までを音声で聞くことができます。(2分18秒)

1560年5月19日(永禄3年)

桶狭間の戦い – 織田信長が今川義元を破り、天下取りの第一歩を踏む

1562年(永禄5年)

清洲同盟 – 織田信長と徳川家康が軍事同盟を締結

1567年(永禄10年)

稲葉山城攻略 – 斎藤氏を滅ぼし美濃を制圧。「天下布武」の印章を使用開始

1568年(永禄11年)

足利義昭を奉じて上洛 – 京都に入り、義昭を15代将軍に就任させる

1570年6月28日(元亀元年)

姉川の戦い – 織田・徳川連合軍が浅井・朝倉連合軍を破る

1571年(元亀2年)

比叡山焼き討ち – 一向一揆対策として延暦寺を焼き払う

1573年(天正元年)

室町幕府滅亡 – 足利義昭を京都から追放し、室町幕府が事実上終了

1575年5月21日(天正3年)

長篠の戦い – 織田・徳川連合軍が武田軍を鉄砲隊で撃破

1576年(天正4年)

安土城築城開始 – 琵琶湖畔に壮麗な居城を建設開始

1582年6月21日(天正10年)

本能寺の変 – 明智光秀の謀反により信長が自害。戦国史上最大の事件

織田信長の革新政策

  • 楽市・楽座:商業の自由化により経済を活性化
  • 関所廃止:流通の促進と商業発展
  • 兵農分離:常備軍の設置により軍事力を強化
  • 鉄砲の活用:新兵器を積極的に戦術に組み込み
  • 宗教政策:既存宗教勢力の打破

後期(1582-1615年)- 豊臣秀吉の統一から徳川政権確立まで

豊臣秀吉の統一
Wikipedia豊臣秀吉

1582年6月13日(天正10年)

山崎の戦い – 羽柴秀吉が明智光秀を破り、信長の仇を討つ

1583年4月21日(天正11年)

賤ヶ岳の戦い – 秀吉が柴田勝家を破り、織田家臣団の主導権を握る

1584年(天正12年)

小牧・長久手の戦い – 秀吉vs徳川家康・織田信雄連合軍。政治的解決で終結

1585年(天正13年)

秀吉、関白就任 – 朝廷の最高官職に就き、名実ともに天下人となる

1590年(天正18年)

小田原征伐 – 後北条氏を滅ぼし、全国統一を完成

1592年(文禄元年)

文禄の役 – 朝鮮半島への最初の出兵開始

1598年8月18日(慶長3年)

豊臣秀吉死去 – 享年62(61歳没)で病死。権力の空白が生じる

1600年10月21日(慶長5年)

関ヶ原の戦い – 徳川家康が石田三成率いる西軍を破り、天下の実権を握る

1603年(慶長8年)

江戸幕府開府 – 徳川家康が征夷大将軍に就任し、江戸幕府を開く

1615年5月8日(慶長20年)

大坂夏の陣 – 豊臣家滅亡。戦国時代完全終結

豊臣秀吉の統一政策

  • 太閤検地:全国の土地を測量し、統一基準で課税
  • 刀狩令:農民から武器を没収し、一揆を防止
  • 身分統制令:士農工商の身分制度を確立
  • 朝鮮出兵:国内の武士階級の不満をそらす

主要合戦詳細解説

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戦国時代の主要合戦詳細解説とまとめまでを音声で聞くことができます。(2分45秒)

桶狭間の戦い(1560年)

  • 背景:今川義元が2万5千の大軍で上洛を目指し、織田信長の領国尾張に侵攻。信長はわずか3千の兵で迎え撃つ絶体絶命の状況でした。
  • 経過:信長は敵の本陣の位置を正確に把握し、豪雨に紛れて奇襲攻撃を敢行。義元を討ち取り、今川軍を総崩れにしました。
  • 影響:この勝利により信長の名は全国に知れ渡り、天下取りの基盤を築きました。また、今川家の衰退により徳川家康の独立につながりました。

川中島の戦い(1553-1564年)

  • 背景:信濃をめぐる武田信玄と上杉謙信の対立。5回にわたる激戦が展開されました。
  • 特徴:第4次川中島の戦い(1561年)では、謙信が信玄の本陣に単騎駆けで斬りかかったという伝説的エピソードがあります。
  • 影響:両者ともに決定的な勝利を得られず、結果的に織田信長の勢力拡大を許すことになりました。

関ヶ原の戦い(1600年)

江戸時代の始まり - 関ヶ原の戦い(1600年))
江戸時代の始まり – 関ヶ原の戦い(1600年))
  • 背景:豊臣秀吉死後の権力争いにより、徳川家康の東軍と石田三成の西軍が対立。
  • 戦力:東軍約7万4千、西軍約8万2千の大軍同士の決戦。
  • 結果:小早川秀秋や脇坂安治ら西軍諸将の寝返りにより、わずか6時間で東軍の勝利が決まりました。
  • 影響:この勝利により家康は名実ともに天下人となり、260年続く江戸幕府の基盤を築きました。

戦国武将一覧

織田家

武将名生没年出身地主要事績
織田信長1534-1582尾張天下布武、楽市楽座、本能寺の変で死去
柴田勝家1522-1583尾張鬼柴田の異名、賤ヶ岳で秀吉に敗北
明智光秀1528-1582美濃本能寺の変の首謀者、山崎で敗死

豊臣家

武将名生没年出身地主要事績
豊臣秀吉1537-1598尾張天下統一、太閤検地、朝鮮出兵
石田三成1560-1600近江五奉行筆頭、関ヶ原で家康に敗北
加藤清正1562-1611尾張賤ヶ岳七本槍、朝鮮で虎退治伝説

徳川家

狩野探幽 - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15571477による
Wikipedia徳川家康
武将名生没年出身地主要事績
徳川家康1542-1616三河江戸幕府開府、260年の平和を築く
本多忠勝1548-1610三河徳川四天王筆頭、生涯無傷の猛将
榊原康政1548-1606三河徳川四天王、上野館林藩初代藩主

その他の有力大名

武将名生没年領国特徴
武田信玄1521-1573甲斐甲斐の虎、風林火山の軍旗
上杉謙信1530-1578越後越後の龍、義の武将として有名
毛利元就1497-1571安芸三矢の教え、中国地方統一
島津義弘1535-1619薩摩鬼島津、関ヶ原で敵中突破

戦国時代の文化と社会

文化の発展

  • 茶の湯:千利休により完成された茶道が戦国大名に愛好される
  • 南蛮文化:ヨーロッパの科学技術、芸術が流入
  • 城郭建築:石垣と天守閣を持つ近世城郭の発達
  • 能・狂言:室町時代から続く古典芸能が発展

社会の変化

  • 兵農分離:武士と農民の身分が明確に分離
  • 商業の発達:楽市楽座により商工業が活性化
  • 都市の形成:城下町が全国各地に建設される
  • 交通の整備:街道の整備により物流が活発化

宗教と思想

  • 一向一揆:浄土真宗門徒による宗教的農民蜂起
  • キリスト教:南蛮貿易とともに伝来、多くの大名が入信
  • 儒学:朱子学が武士階級の倫理観に影響
  • 法華宗:京都の町人階級に広く普及

戦国時代の影響と教訓

明智光秀の謀反 – 本能寺の変(1582年)
明智光秀の謀反 – 本能寺の変(1582年)

日本史への影響

  • 統一国家の形成:分裂状態から中央集権国家への転換
  • 身分制度の確立:士農工商の厳格な階層社会の成立
  • 鎖国体制の基盤:キリスト教禁止から鎖国政策への流れ
  • 平和な社会:260年間続く江戸時代の平和の礎

現代への教訓

  • リーダーシップ:信長の革新性、秀吉の人心掌握術、家康の忍耐力
  • 戦略思考:限られた資源での効果的な戦略立案
  • 変革への対応:新技術(鉄砲)への適応能力
  • 組織運営:優秀な人材の発掘と活用

戦国時代から学ぶポイント

  • 実力主義:身分にとらわれない能力重視の人材登用
  • 情報収集:正確な情報に基づく意思決定の重要性
  • 同盟関係:適切なパートナーシップの構築
  • 時代適応:変化する環境への柔軟な対応

戦国時代武将一覧【出生年・没年・享年】年表付き歴史まとめ

お春
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大河ドラマなどを見ていると、「この二人同年だったの?!」とか「ん?この時期までこの人生きてたんだ!」なんて、時系列と武将たちの年齢とかがわかりにくいと思ったことはありませんか?

戦国時代の148年間の間に、生まれ亡くなった戦国武将達を時系列で年表にしてみました。

年代出来事武将名生年没年享年
戦国時代前期——-
1467年応仁の乱
1477年応仁の乱終結
1493年北条早雲の
伊豆侵攻
毛利元就1497年
今川義元1519年
武田信玄1521年
柴田勝家1522年
滝川一益1525年
明智光秀1528年
上杉謙信1530年
朝倉義景1533年
織田信長1534年
丹羽長秀1535年
足利義昭1537年
豊臣秀吉1537年
前田利家1539年
徳川家康1543年
竹中半兵衛1544年
浅井長政1545年
黒田官兵衛1546年
1543年鉄砲伝来
真田昌幸1547年
本多忠勝1548年
1549年キリスト教
伝来
戦国時代中期——-
石田三成1560年
直江兼続1560年
1560年
5月19日
桶狭間の戦い今川義元1560年41歳
福島正則1561年
加藤清正1562年
1562年清洲同盟
真田幸村1567年
伊達政宗1567年
1567年稲葉山城攻略
1568年足利義昭を奉じて上洛
1570年
6月28日
姉川の戦い
1571年比叡山焼き討ち毛利元就1571年74歳
1573年室町幕府滅亡武田信玄1573年52歳
朝倉義景1573年40歳
浅井長政1573年28歳
1575年
5月21日
長篠の戦い
1576年安土城
築城開始
上杉謙信1578年48歳
竹中半兵衛1579年35歳
1582年
6月21日
本能寺の変織田信長1582年48歳
戦国時代後期——-
1582年
6月13日
山崎の戦い明智光秀1582年54歳
1583年
4月21日
賤ヶ岳の戦い柴田勝家1583年61歳
1584年小牧・長久手
の戦い
1585年秀吉、
関白就任
丹羽長秀1585年50歳
滝川一益1586年61歳
1590年小田原征伐
1592年文禄の役
足利義昭1597年
1598年
8月18日
豊臣秀吉死去豊臣秀吉1598年享年62
(61歳没)
前田利家1599年62歳
1600年
10月21日
関ヶ原の戦い石田三成1600年40歳
1603年江戸幕府開府
本多忠勝1610年62歳
真田昌幸1611年64歳
加藤清正1611年49歳
1615年
5月8日
大坂夏の陣真田幸村1615年48歳
直江兼続1620年60歳
福島正則1624年63歳
伊達政宗1636年68歳

※この年表の出来事、出生・没年などはWikipediaから引用しています。

おわりに

戦国時代は日本史上最も劇的な変化の時代でした。応仁の乱により始まった混乱期から、織田信長による革新的な統一事業、豊臣秀吉による全国統一の完成、そして徳川家康による長期政権の確立まで、数多くの英雄たちがそれぞれの時代を切り拓いてきました。

この150年間は単なる戦乱の時代ではなく、新しい技術の導入、商業の発達、文化の興隆、社会制度の整備など、近世日本の基盤となる重要な変革が行われた時期でもありました。

戦国武将たちの生き様は、現代のビジネスパーソンやリーダーにとっても多くの示唆に富んでいます。彼らの戦略思考、人材活用、危機管理能力は、変化の激しい現代社会においても十分に参考となるものです。

戦国時代を学ぶことで、日本の歴史と文化への理解が深まり、同時に現代を生きる私たちにとっての貴重な教訓を得ることができるでしょう。

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