
織田信長って、実は名前が5つあったんです。全部言えたら戦国上級者ですね!
戦国時代のカリスマ武将・織田信長。歴史の教科書では「信長」として登場しますが、実はその生涯で複数の名前を使い分けていました。
幼名「吉法師」からフルネーム「平朝臣織田上総介三郎信長」、さらには「第六天魔王」という異名まで。この記事では、織田信長の名前の種類と意味、そして時代ごとの使い分けを徹底解説します。
幼少期の名前:吉法師(きっぽうし)

- 生まれたときの幼名。
- 「吉法師」には吉祥や無事な成長を願う意味が込められていました。
- 元服すると幼名は使われなくなります。
通称:三郎(さぶろう)
- 織田家の三男であったことから「三郎」と呼ばれました。
- 武士社会では兄弟の序列を示す「太郎・次郎・三郎」が一般的。
- 日常的に親族や家臣から呼ばれた実用的な名前です。

三郎と言えば、2014年からフジテレビでアニメや実写映画化された「信長協奏曲(のぶながコンツェルト)」の主人公の名前が三郎だったのは、こういう事なんですね!

誰もが知っている織田信長が、現代からタイムスリップした普通の高校生だったという斬新な設定のもと、未来から来たサブロー(小栗旬)の力によって「天下統一」という途方もない夢を勝ち取る寸前までたどり着く姿を、戦国時代を舞台にした青春群像として描き出していく。
こう言った歴史ファンタジーや大河ドラマって、矛盾や疑問のオンパレードですが、そう言ったことに気づき、自分で調べてみたりしてさらなる疑問を解き明かしていくことで、歴史の奥深さや魅力にはまっていくのです。(笑
官職名:織田上総介(おだ かずさのすけ)
- 朝廷や幕府から与えられた官職名。
- 本来は上総国の副国司ですが、実際に赴任することはなく「名誉称号」として使われました。
- 書状や公式の場で「上総介」と名乗ることで権威を高めました。
諱(本名):信長(のぶなが)

- 成人後に用いる正式な名前。
- 本来、日常的に口にするのは失礼とされ、公文書や署名で使われました。
- 一般的に知られている「織田信長」がこれにあたります。
フルネーム:平朝臣織田上総介三郎信長
- 最も格式ばった正式名称。内訳は以下の通り:
- 平朝臣=桓武平氏の流れを示す氏族名
- 織田=名字
- 上総介=官職名
- 三郎=通称
- 信長=諱
- 朝廷や幕府に提出する文書など、公式儀礼の場で用いられました。
異名:第六天魔王
- 延暦寺焼き討ち後、仏敵と恐れられ、自ら「第六天魔王」と称したと伝わります。
- 正式な名前ではなく、カリスマ性と恐怖を象徴する呼び方です。
死後の戒名
「戒名(かいみょう)」とは、仏教で亡くなった人につけられる名前のことです。特に織田信長のような歴史上の人物の戒名は、とても長く、格式の高い称号が含まれるのが特徴です。
戒名とは?
- 仏教では、人は死後に出家して仏弟子となり、来世で安らかに成仏するという考えがあります。
- そのため、生前の俗名(信長など)を捨てて、「仏弟子としての新しい名前=戒名」を授かるのです。
- お寺の住職が読経の中で授けるのが一般的です。
信長の戒名
信長の戒名はとても長く、豊臣秀吉によって贈られました。
総見院殿贈大相国一品泰巌大居士(そうけんいんでん ぞうだいしょうこくいっぽんたいがんだいこじ)
意味を分解すると:
- 総見院殿:信長を祀った菩提寺(京都・総見院)に由来
- 贈大相国:死後に贈られた最高位の官職(相国=将軍級)
- 一品:貴族の位階の最上位クラス
- 泰巌大居士:立派な徳を持つ人への尊称
名前の使い分け:時系列で整理
織田信長は、立場や状況によって名前を使い分けていました。
- 幼少期(1534–1546):吉法師(幼名)
- 青年期(1546–1551):三郎(通称)、信長(諱)
- 家督相続後(1551–1568):織田上総介(三郎)、信長
- 天下布武期(1568–1582):平朝臣織田上総介三郎信長(フルネーム)、信長、第六天魔王(異名)
- 死後:総見院殿贈大相国一品泰巌大居士(戒名)
まとめ:信長の名前はその人生を映す鏡

織田信長には「吉法師」「三郎」「上総介」「信長」「平朝臣織田上総介三郎信長」「第六天魔王」など、実に多様な名前が存在しました。
これらは単なる呼び方ではなく、家柄・役職・社会的立場・時代背景を映し出すものです。信長の名前を辿ることで、戦国時代の武士文化や社会制度を深く理解できるのです。